とっておきのお酒の話vol.14

4.日本酒(清酒)

4-1  .はじめに

 

 日本酒は古来、「栄え水」と呼ばれていました。それがサカエ(栄)⇒サケエ⇒サケ(酒)に変化したと言われています。お酒は儀式の捧げものとして、四季折々の行事に登場し、人間関係を円滑にすると共に絆を強めるめのコミニュケーションツールとして大いに役立っています。また、ストレス解消や食事を美味しく味わうのに一役買っています。
 儀式として神事や婚礼があります。写真は江戸3大祭りの一つ富岡八幡(別名:深川八幡)の「深川八幡祭り」と婚礼の祝い酒です。
 因みに、3大祭りの残り2つは神田明神の「神田祭り」、日枝神社の「山王祭り」です。

 呼び名の由来のついでに、酒の字源(上図)、字の持つ意味についてお話をします。「酉(とり)」は酒を醸す壷を、氵(さんずい)は液体を表す象形文字です。医学の旧字体「醫」の下部も酉です。「酒は病を治す」との理由からきています。十二支の10番目は「酉」であること、新穀が実るのが10月です。10月は酒の仕込みが始まる時期でもあります。日本酒造組合は酒造年度を10月1日からと定め、この日を「日本酒の日」に制定しています。

突然ですが、ここで万葉集に詠まれているお酒の歌を二首ご紹介します。

 

  お酒との付き合いは神武天皇以前の昔からですが、万葉集4,536首の中に大伴旅人(太宰 師《だざいのそち》大伴卿:家持のお父さん)が詠んだ『酒を賛(ほ)むる歌十三首』が知ら れています。

 その中の第一首、宮仕えのサラリーマンの気持ちを読んだ歌があります。

お酒との付き合いは神武天皇以前の昔からですが、万葉集4,536首の中に大伴旅人(太宰 師《だざいのそち》大伴卿:家持のお父さん)が詠んだ『酒を賛(ほ)むる歌十三首』が知ら れています。

 その中の第一首、宮仕えのサラリーマンの気持ちを読んだ歌があります。

 

『験(しるし)なき ものは思わ ず一坏(つき)の 濁れる酒を 呑むべくあるらし』

(訳)くだらない物思いをするくらいなら、一杯の濁った酒を飲むべきであろう。

 

 十三首の中ではありませんが、私の故郷(旧、福岡県朝倉郡夜須町 現、筑前町)に関係する 大伴旅人の歌があります。

『君がため 醸(か)みし待ち酒 安の野に 一人や飲まむ 友なしにし て』

(安の野⇒夜須の野に変化、安野の地名も残る)があります。

(訳)君と一緒に呑もうと思って、せっかく造って待っちょったお酒ばってん、君が都に帰ってしまう けん、私はこの安の野で、独で呑まんといかんとよ、友もないのに。 この詩の君は大弐(大宰府の首席次官)だった丹後県守卿《たんごあがたのもりきょう》が、民部卿 (民部省の長官)に昇進して赴く時の送別の詩です。大伴旅人は山上憶良と核になり筑紫歌壇を結成し 活動していた。 

 

 テレビでも人気のあった金さん、銀さんが生まれた時、それは100年チョット前になりますが、それまでは発酵現象の謎が解き明かされていなかったため、お酒は自然にもと(酛=酒母)が湧くのをジーット待って造っていた。つまり、空気の綺麗な厳冬の時期に、麹+蒸し米+水を混ぜ低温で1ケ月以上保ち、糖化されトロトロになった処で、加温して自然に入り込んだ野生酵母(酒蔵の梁などに住みついている蔵付き酵母など)を増殖させる「寒仕込み醸造法」が定着した。
 しかし、品質が安定せず、明治になってから協会酵母の頒布が始まり品質の安定したお酒が造れるようになった。

 

 

ここでQ&Aです。

Q : お酒の酵母を最初に発見した人は誰。
A : 矢部規矩二《やべきくじ》博士で、その酵母は「Saccharomyces sake yabe」と命名されています。

写真の(独)酒類総合研究所(旧大蔵省酒造研究所)の庭にあるのが、矢部規矩二博士の像(白色)です。この建物は、良い酒を造るには酵母研究が必要と明治天皇のお声掛りで造られ ました。場所は東京都北区滝野川にあります。

4-2. 日本酒(お酒)の歴史

 

 我が国最初の酒は縄文時代(1,2000年前頃)の山ぶどう酒ですが、日本酒(お酒)造りは弥生時代(紀元前5世紀~3世紀頃)に稲作伝来と共に始まりました。お酒造りの記録は諸説ありますが、歴史書などを紐解くと概ね以下の4つが挙げられます。
① 大隅風土記(鹿児島、713年頃):「口噛みの酒」の記載が最も原始的な手法の起源と思われます

② 魏志倭人伝*(中国・280年頃):日本最古のお酒の記述がみられます。倭人(大和人)は『人生嗜酒(さけをたしなむ)』と記され、また喪の時に弔問客が
歌舞飲酒」をする風習があるとの記述があります。
(*)中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑 東夷伝倭人条の略称

③ 播磨国風土記(兵庫、716年頃):日本酒造りの原型である麹カビの糖化作用を利用した酒造法(干し飯が水に濡れてカビが生えたものを用いた)の記述があります。
麹カビ醸造法は奈良時代(710年~)に中国からもたらされたとの説が一般的ですが、これが日本独自で生み出された醸造法であるとの根拠になっています
 
④ 古事記(日本最古の歴史書、700年初期):此花咲爺比売《このはなさくやひめ》が煮たお米を噛んで壺に入れて造ったとの記述があります。
 

 

 話がチョット長くなりますが、此花咲爺比売についてご紹介したいと思います。
「娘(鬼も)十八番茶も出花」は並みの娘さんに使う褒め言葉ですが、本当に「花も恥じらう乙女」で、花よりも美しい娘さんでした。山の神の大元締め、大山祇ノ命《おおやまつみのみこと》の妹娘で、姉に
石長比売《いわながひめ》がいるが、器量が今一だったとか。
 後に
照大神《あまてらすおおみのかみ》のの瓊瓊杵尊(ににぎの命)の妻となりました。
 大山祇ノ命を祭った神社は今治市の大三島が総本社で、各地に2,000を超えます。旦那の瓊瓊杵尊は地上を治めるために、天上世界の高天原から葦原中国(中津国)に初めて
降りてきた神様です。(このことを天孫降臨と言う)葦原中国とは宮崎県の日向高千穂地方説が有力。高千穂町の神楽酒造では天孫降臨と言う芋焼酎を造っています。

 

次回(第15回)は日本酒(4-3.時代と共に変わる日本酒の呼び名、特定名称酒とは 4-4.ラベルの読み方)についてお話をしようと思っています。

by Mr.k


14回目ありがとうございました。

 

歴史を思いながら酒を飲むのも良いですね