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モクサアフリカ「熱くない」日本の直接灸」を世界へ、未来へ

   1940年代の日本人の死亡要因の一位は結核菌でした。しかし、その結核は1951年をピークに1990年までの40年ほどで一気に減少していきます。

 世界で最も早く結核が減少した国、それが日本だそうです。

 衛生環境の飛躍的な向上が主たる要因ですが、そんな日本で1950年以前にお灸で治療していた先生に、沢田先生、深谷先生、そして九州の原志免太郎先生がいらっしゃいます。

 沢田先生はたくさんの結核の患者を治療して多くの症例をのこされています。深谷先生はご自身が結核をお灸で治った経験から鍼灸師になられたそうです。原先生はお灸で博士号を取得された最初のメディカルドクターです。

 原先生の暮らしていた当時の九州は結核患者に投与する抗生物質が東京で止まってしまいどどかなかったそうです。そこで先生は結核病棟を自分で作り患者さんにお灸治療をしていました。

今日でも結核を発症する人が世界には3万人います、そして1日に5千人が結核でなくなっています。そうした中、薬のない時代、結核にお灸が効いていたならと三人の先生方をヒントにお灸は現在の結核に、衛生環境のよくない状況下での治療に効果があるのではないでしょうか?

 免疫力を高める作用が期待できるお灸は、電気もいらない、コストもかからない。特に結核などの免疫が下がる病気に対してはお灸は欠かせない存在になるでしょう。

 

日本鍼灸師会「けんこう定期便」より抜粋

 

 

モクサアフリカ

 モクサアフリカはイギリスで2008年に登録されたチャリティ団体です。

アフリカサハラ南部でひろがりつづける肺結核、薬剤耐性結核、HIV/AIDSとの複合感染の結核に日本式のお灸による治療活動を展開。

あわせて現地ウガンダのマケレレ大学の結核の専門スタッフと、お灸を投薬治療の補助療法として、又、代替療法としての利用の研究をつづけています。

原志免太郎

今から時計の針を戻すこと約100年、20世紀初頭の日本。

 およそ7人に1人の日本人が結核で亡くなっていたという昭和の時代、かつて「お灸博士」と呼ばれる一人の医師がいました。

 

まだ抗生物質もなかった当時、結核の悲惨な状況を救うべく立ち上がった彼。医師である彼が用いたのは、古来から存在する日本の医療技術である「お灸」。わずか米粒ほどのお灸を足や腰に燃やすことで結核に挑むという、斬新かつ非常に野心的な試みでした。

 

のちに彼の結核治療はみごとに実を結び、やがて結核に対するお灸の有効性を実証してみせた彼は、108歳という当時の男性長寿日本一の栄誉とともにこの世を去りました。